There is still Beauty in the World.


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Hikari
こんにちは、Hikariです

世界は今、悲しみに包まれている

ネットをひらけば、コロナ、コロナ、コロナ、コロナ。

テレビをつければ、世界中が泣いている。

それに付随して現在の死者数ってやつが目に飛び込んできて、しかもその数字は正確なものではない。

なぜなら次の瞬間にはまた別の人が死んでいくから。

その数字の周りにはその何百倍、何千倍、可視化できない数の家族や友人が涙にくれた日々を送っている。

しかもその悲しみは終わっていないのだ。今なお続いているし、終わりすらみえないのだ。

大切な人の死を嘆きながら、自分は大丈夫なのかという恐怖に苛まれている。
たくさんの人が仕事を失い、今月の家賃も払えず明日にすら不安を覚えている。

それに加えて自粛せよ、という現実。
いつでも会えると思っていた友人に会うことすらもはや容易いことではなくなった。

長年日本での楽しい生活を夢みて、やっと日本での生活が始まった台湾や韓国、スペインの友人は、四方を塞がれ夢半ばでそれぞれの国へ帰っていった。

コロナウィルスは世界を悲しみであふれさせている。

なんのために?尋ねたって答えは返ってこない。

私たちが何をしたっていうの。そんな疑問は音もなく消えてゆく。

43日、イギリスの友人からメッセージが届いた。
Hi, Hikari、元気にしてる?大丈夫か?」

「私は元気よ。でも仕事を失うかもしれないわ。私の仕事なんてどうにかなるからいいの。でも人が死に過ぎている。どれだけの人が今悲しみの淵にいて、どれだけの涙が溢れているの?」

イギリスが国家を挙げて外出制限をしている中で、彼がしている「介護」という仕事に特別な休みはない。
毎日COVID-19が移るかも、移してしまうかも、という恐怖の中で戦いながら、命をかけて施設の人たちをサポートしている。

彼とは日本で出会った。
「日本が恋しいよ、世界が落ち着いたら(which I hope is soon)また絶対日本を訪れたい」
と言ってくれる彼に、家の近所で咲き誇る満開の桜の木々たちの写真を送った。

「ワオ!とても美しい。世界は今だって美しくあるんだね」

There is still beauty in the world…
思わず泣きそうになった。

桜の木が彼の心を少しだけ休ませてあげられたのかもしれない。

世界は今どうなっているの?

仕事が減り、時間ができた私は世界に散らばる友人たちに連絡してみることにした。

Hello, Del, 元気?無事でいる?フランスは今どうなっているの?」
Hikari! 元気?どうしてる?あなたのことが心配よ。私は大丈夫。でももう二週間外に出ていないわ。だから今日は久しぶりに食材を買いに行くつもり。日本にいたときに一目惚れして購入したマスクがついに日の目を浴びる日がきてとても嬉しいわ」

彼女は続ける
「最近デートし始めた彼が、どうしても私に会いたいって住所を聞いてくるの。でも私は、あなたにとても会いたいけど今は会うべきじゃない、また何も心配せずに会える日がくるのを心待ちに、今このときを共に耐えましょうって答えたの」

切なすぎる分断
でも未来を見据え今を耐え忍ぶ彼女を、私は友人として誇りに思った。

台湾のKennyは言った。
Hikari!まだ福岡にいるのかい?ニュースを見るよ、心配だ!台湾政府が今のところこのシチュエーションをうまくコントロールしてくれているから本当にありがたいよ!」

アイルランドでワーキングホリデーをしている友人
「あさみちゃん、元気にしてる?そっちはどうなの?大丈夫?」
「ひかり!!!はっろーーーー!仕事なくなったよー、二週間、外出てないよー!無職ひきこもりのシェアメイトたちと毎日パーティー三昧だよー」

泣き言が返ってくるんじゃないかという私の心配とは裏腹に、明るい返事が返ってきたので心からほっとした。

「もはや家賃半額だし政府から補償も出るし、和牛券とは大違いだね笑」
それどころか嫌味までいってくる始末だ。とにかく無事に楽しく過ごせているなら何よりだと思った。

ドイツでワーキングホリデーをしている友人にも話を聞いてみた。
「つばさ、元気?ドイツはどう?」
数日前、冷蔵庫に仕込んだiPhoneの前でビールを取り出し、ただ無言で飲んでみるという謎の♯StayHomeの動画を上げていた男だ。

「俺の住んでるバイエルンは色んな給付金だしてるから、自分が何に当てはまるかで変わってくる。俺の場合は仕事が通常より短いときに、残りの時間は働かなくても州から60%は補助金が出るよ。たぶん外国人とかドイツ人とか関係ない」

とにかく彼が変な動画を上げている限りはまだ大丈夫ということだ。ほっとした。

オーストラリアでワーキングホリデーをしているあやの。
一ヶ月前には、やっとローカルジョブが決まった!と嬉しそうに連絡をしてくれた。
「ひかりさん、オーストラリアで働いてたファームどこ?いいところだった?仕事、コロナのせいでなくなっちゃったから」

彼女が一大決心して臨んだセカンドホリデー。
何度も相談してくれた。泣きながら電話してきたこともあった。
やっと叶った二年目だったのに、悔しい!という私を横目に、彼女はそれでも必死に前を向いていた。

「ファームなら働けそうだから。とりあえず行ってみる!」

アメリカに住む友人は毎日SNSに情報を上げている。
今アメリカでは何がどう起こっているのか、常に発信してくれている。

この4月からフィリピンでの就職が決まった友人は入国した瞬間、外出禁止になりまだ1日も働いていない。
それでも毎日一人で家で楽しんでいる。
これまでしてこなかった料理に励んでいるらしい。

インドで日本語教師をしている友人も、もうしばらく働けていない。
そんな中11万歩以上家の中を歩くという興味深い挑戦をもう1週間以上続けている。

日本でも

知り合いの飲食店ではデリバリーサービスや冷凍食品の郵送サービスを始めたし、宿業をしている知り合いはオンラインショップと、テレワーク者を対象にスペース貸しを始めた。

別の友人は空室ばかりで寂しい宿泊施設に帰国困難者を無償で宿泊させている。そのお金はクラウドファンディングで集めているし、それに対して賛同者が多くいるということに全く驚きはない。

また、福岡で宿業をしている友人も、持っていた物件のほとんど全てを手放すことになった。
若くして起こし毎日汗水たらしながら大きくしてきた会社を畳もうかとすら考えた。
それでも悩みに悩んで、考えに考え抜き、今求められる事業を大きくしてゆくという決断をした。

何も諦めていない。
誰もが何かを信じている。

世界は今だって美しくある。

死んでいく人や涙に明け暮れる人は増える一方だ。

それでも、世界は今だって美しくある。

それは自分の視点をどこにおくか、という点に於いてだ。

宅配便のお兄さんは今日も荷物を運んでくれるし、コンビニやスーパーや薬局の店員さんは今も働いている。

お医者さんも看護師さんも世界中で戦っている。

たくさんの人が恐怖と隣り合わせで戦っている。

世界ってこんなに優しかったのか、と人の尊さとともに気づかされる。
いや、きっと思い出させてもらっているのだと感じる。

奪い合いでなく、支え合い。

こんな状況でも、こんな状況だからこそ大切なことを忘れるべきではない。
全くきれいごとではない、いち人間としてのあり方の話だ。

諦めるのか、諦めないのか決めるのは自由だ。
きっと一人諦めたら二人、三人と連鎖する。

だから命ある限り諦めない。

耳が痛くなるほどに今叫ばれている自粛という言葉。
その自粛とは「幸せへの自粛」ではない。
世界は幸せでいて良いし、それを広げることだってできるのだ。

だって世界は今だって美しくある。

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